震災の日から、「人殺し」と呼ばれた翔智塾
震災の瞬間、2次募集に向けて必死に勉強しているひとりの生徒の個別指導をしていた。
完成間もない本校舎の壁には亀裂が入り、逃げようとしても立っていられない揺れ。
ぜったいにこの子は守らなければいけないという思いと、ほんとうに守れるのかという不安。
立て続けにくる余震なのか本震なのかわからない大きな揺れの中で、生徒をなんとか無事に自宅に送り届ける。
すると、電気が復旧したばかりの教室に電話が鳴った。
「うちの子が塾のお友達と東京に遊びに行っていて連絡がとれないんです!」
さまざまな手立てでなんとかその子たちと連絡はとれたが、彼女たちは徹夜で歩き続けて帰宅したという。
自宅付近は電気が回復しなかったので、教室で一夜を過ごした。
それを知った保護者のKさんが、毛布を差し入れてくださった。
この時のうれしさはたぶん一生忘れない。
夜が明けても街は静かにパニックに陥っていた。
決心した。
「今日から教室を開けよう。」
勉強の遅れは一日だって命とりだ。
このパニックで子どもたちの学ぶ権利がと機会が失われないようにしたい。
もちろん、余震や原発事故など予断を許さない状況にあるので、「授業」ではなくあくまで「自習室での学習支援」という形態にした。
強制ではない、あくまで「機会と選択肢の提供」だ。
それでも、
その判断の真意は伝わらず、一部の人たち、とくにネットで匿名で発言をしている人たちの反感を買った。
「この状況で子どもたちに外出を強いるのか!この殺人鬼め!」
などとネット上に書きたてられた。苦情の電話もずいぶんと鳴った。
やがてそれはエスカレートしていき
「子どもたちの命を守るためにお前を殺しに行く。」
とか
「お前のやっていることを理解させるために塾生を一人殺してやる。」
とまで書かれ、さすがにこれは警察に通報し、助力を仰いだ。
地元の議員さんも動いてくださった。
きっと、そんな書き込みをした人たちも
子どもたちを守りたいという純粋な気持ちと正義感からだったのだと思う。
だから、誰がそんなことを書いたのかとか、彼らを非難しようとか、そういう気持ちはない。
余震もやまず、原発事故の不安もまったくなくならないこの守谷に
山口県から川島力先生が駆けつけてくださった。
川島先生は、山口市の人気塾、かわしま進学塾の塾長先生で、STUDY PLACE 翔智塾の誕生をずっとサポートしてくださった方だ。
かわしま進学塾のみなさんからは、温かいメッセージが書き込まれた差し入れも届いた。
その差し入れは今でも守谷本校に大切に保管してある。
そのときにかわしま先生が残されたメッセージは今でも南守谷校の黒板に残してある。
ちなみに、
これは完全に余談であるが、
そのネットでのやりとりをずっと見守り、会ったこともない私にひそかに応援メッセージを送ってくれていた人が、
のちに私の妻・・・いや、私の「人生お笑い劇場の相方」となってくれた人である。
中村 五十一
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