「漢字は国語の基礎・基本」という誤解
「漢字は国語の基礎・基本」とよく言われます。
面談でも、「うちの子は国語が苦手なので、せめて漢字くらいは・・・」
というご相談を多く受けます。
しかし、ほんとうに「漢字は国語の基礎・基本」なのでしょうか?
漢字の書き取りは、じつは難しい
たとえば、漢字の修得率について、こんなデータがあります。
財団法人 総合初等教育研究所
「教育漢字の読み書きの習得に関する調査と研究」2005 年 1 月公表
http://www.bunkei.co.jp/school/images/column_img/colmun0809.pdf
この資料を見ると、いかに子どもたちが漢字を書けないかということがよくわかります。
つまり、漢字を正確に書くということは、誰でもできるような基礎・基本ではなく、むしろかなり難易度が高い課題であるということなのです。
「うちの子は国語が苦手なので、せめて漢字くらいは・・・」
というのは、
「うちの子は算数が苦手なので、せめて文章題くらいは・・・」
というのに等しい愚考なのかもしれません。
では、なぜ「漢字は国語の基礎・基本」と言われるのでしょうか。
それには2つの理由があると考えられます。
漢字の「読み」と「書き」が混同されて論じられている。
1つめの理由は、漢字の「読み」と「書き」が混同されて論じられているという点です。
じつは、漢字の「読み」については、国語の基礎・基本であることは論を待ちません。
漢字が読めなければ、文章も読めないわけですから。
しかし、これは「漢字力」の問題ではなく、本来は「語彙力」の問題です。
言葉を知らないから、漢字が読めないのです。
長らく国語業界では、子どもたちの「語彙力」を問題視してきませんでした。
それは、本来は「語彙力」の問題であるのに、「漢字力」の問題として論じられてきてしまったからではないでしょうか。
その② 「漢字練習という安易な指導に逃げた」教員が多かった。
2つめの理由は、国語の本当の指導方法を知らない教員が、漢字練習という安易な指導に逃げたのではないかということです。
国語の指導法がある程度確立されてきたのは、他の比べて極めて遅かったと私は考えています。
じっさい、明確な方法論をもって国語の指導をしてもらった経験をもつ人はまだまだ少ないのではないでしょうか。
そのことが、「国語はやっても伸びない」という誤解につながり、そのため、多くの塾では「売れない」国語の授業を標準コースから外しています。
そして、そのことと、きちんと確立した国語の指導方法を持っている教員が極めて少ないことは、もちろん密接な関係があるわけです。
範囲を決められた漢字を一時的に書けるようにしてテストの点数を取らせることは、そんなに難しいことではありません。
それゆえに、明確な国語の指導方法をもっていない教員が、「成果を出す」ために、漢字の書き取りを「基礎」と称して、推奨したという疑念を私は抱いています。
漢字の書き取りはいちばん最後
受験テクニックという少しいやらしいことを考えてみます。
ご存知の通り、漢字の問題は配点が極めて低く設定されています。
しかし、覚えなければいけない漢字は膨大です。
そうすると、単純に確率論でいうと、覚えなければいけな量が多い割には覚えた漢字ひとつひとつは出題される確率が低く、労が多い割には「お得」な感じがありません。
しかも、配点も文章題に比べれば低めなわけです。
つまり、漢字の書き取りを一生懸命やっても、国語のテストの点数を飛躍的に上げることには寄与しないのです。
漢字の書き取りをやらなくてもよい・・・ということが言いたいのではありません。
漢字の書き取りに注力をするタイミングは「何はともあれ、まず漢字から」というようなものではなく、むしろ、子どもたちが「文章題で満点をとっても、漢字の書き取りで失点したらテスト全体の満点は取れないことに悔しさを感じてからのほうが効率が良いということが言いたいのです。
文章題が思うように得点できるようになり、国語が楽しくなってからのほうが、子どもたちも意欲的かつ積極的に漢字の書き取り練習に取り組んでくれますし、その方が吸収率が高いのは言うまでもありません。
国語全体に苦手意識がある子に、無理やり漢字の書き取り練習のような修行的な勉強をさせても、成績を上げるどころか、むしろ逆効果なことが多いということです。
少々強気の論調になりましたが、今日はこのへんで。
中村 五十一
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