やっぱりプログラミングはできた方がよいですよ

プログラミング教育の行方に注目しています。

 

文部科学省では、2020年より導入される子供へのプログラミング教育をこんなふうに定義付けています。

 

プログラミング教育とは

子供たちに、コンピュータに意図した処理を行うように指示することができるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」などを育成するもの。コーディングを覚えることが目的ではない

引用:小学校プログラミング教育に関する概要資料(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/03/09/1375607_01.pdf

 

よく言われるように、

「プログラミング教育が目指すのは、プログラマー育成ではない。」

ということであれば、これはその通りだと思います。

 

たとえば、

数学教育は、数学者の育成を目指しているわけではありませんし、

国語教育は、作家の育成を目指しているわけではありませんよね。

 

それでも、「数学的思考」は日常で活きていますし、国語に至っては、手紙からSNSまで、プロでなくても文章を書ない日はないくらい日常生活で活用されるわけです。

もちろん、ほかの教科でも事情は同じなのは言うまでもありません。

 

しかし、だとすれば、

プログラマーにならなくても、あたかも僕らがSNSやメールに文章を書くように、プログラムを書く日が来るかもしれない。

 

現に、私のようなしがない塾講師・経営者でも、ちょっとしたプログラムが書けると、かなり仕事に活かすことができます。

みなさんにおなじみのComiruというシステムを導入する前までは、当塾の指導報告書、月謝明細と請求、講師のアルバイト管理などは、私と野村先生が書いたプログラムで動いていました。

 

Comiruを導入した後も、講師の先生がComiruに入退室するとTwitterに自動投稿されるのは、私が書いた30行ほどのプログラムで作動しています。

 

また、このブログはWordPressというWebサイトを自動的に生成するプログラムで表示されているため、プログラミングの知識を活用して、細かいところを修正してより塾のサイト・ブログとして適切化し、かつオリジナリティを出すということができています。

 

若干、自慢のように思われるかもしれませんが、さにあらず。

はっきり言って、私の知識やスキルは、プログラマーになれるレベルではまったくありません。

プログラミングとは、その程度のレベルでも、十分に日常に活かすことができる知識とノウハウだと私は言いたいのです。

 

私がこうしたプログラミングの知識や経験を多少でも持ち合わせているのは、中学生時代に通っていたアメリカの公立学校で、正式に授業として受講していたからに他なりません。

そして、そこで習ったことはまさしく「コーディング」の知識であって、またその実践を通じて、「プログラミング的思考」を身につけていったというのが、私の実感です。

 

そんな自分の実感もあって、文科省のいう

 

「コーディングを覚えることが目的ではない」

 

という表現が、いちいち引っかかるんですよね。

たぶん、この表現は、いまだに日本に生息するコンピューターアレルギー患者を刺激しないような配慮なのではないか・・・と、私は勘ぐっているのですが、どうなんでしょうね。

 

 

それでは、今日はこのへんで。

 

 

 

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中村 五十一

株式会社スタディー・プレイス代表取締役。STUDY PLACE 翔智塾の「ボケ」担当、「ツッコミ」は生徒たち。授業は「生徒たちとの掛け合い漫才」だと思っている。塾講師歴30年。県下最大手塾・茨進の教室長などを歴任。千葉テレビの「茨城県立高校入試の解答と解説」で3年にわたり解説を務めた。
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