授業が終わると、送迎の車を待つ塾生たちがいろいろな話をしています。
「自分の記憶を機械に移植できても、魂までは移植できないんだよ。」
そんなことを高校生が語り始めました。
中学生はキョトンとしている子が多かったですけれどね。
どうやって死を克服するのか
どうも、そんなことを考えていてたどり着いた結論が「記憶装置に自分の記憶を移植すればいい」ということだったらしいのです。
でも、
「技術的にはもうできるかもしれないけれどさ、それって、オレ自身じゃないんだよ。」
ということに気づいて、ほかの子の考えが知りたかったらしいのです。
死を考えることは、いかに生きるかを考えることです。
受験勉強とは違って、けっして正解にたどり着くことは無い問題。
そういうことを熱く語り合っている高校生たちを、茫然と見つめる中学生たちにも、こういう経験はすぐ活きてくるはずです。
そんな学びもある、STUDY PLACEです。
短いですが、今日はこのへんで。


